弓道の先生が教える内容が少し難しいという話を以前しましたが、
弓道のこととなると運動生理学や物理学などの日常の常識レベルの話を忘れてしまう、もしくは弓道は別の物だとして話をされる・考えている方がいるので、その点に関して考えをまとめたいと思います。
弓道は別物と考えてしまう
これは指導者側にも指導を受ける側にも当てはまるのですが、どことなく弓道を特別な物と捉えてしまったりしませんか?
例えば猿腕など色んな腕の形がありますがよく聞くのが「腕を真っ直ぐにする」という事だったりします。
ここで「弓道はそうしないといけないんだ」と思って肩を上げたり(肩甲骨を回旋させる?)するのがまさにそうで、力を使うのにそんな状態では力が入らなくなってしまいますね。「腕を真っ直ぐにする」に関しては筆者は体に無理がかからないように最適な形で受けるというのが意味だと思ってます。
「矢は地面と平行」ともよく言われますが弓の強さと矢の重さや筈の取りかける位置などの複数要素で矢の角度も変わるのは物理を勉強していれば分かると思います(筆者は物理が駄目で文系になりました)
何故別物としてしまうのか?
これは弓道の持つスピリチュアル的な印象が理由の無い納得を与えているのかと推察します。
併せて昔の「見て学べ、小手先であてるな」といった文化も更に論理的な考えの停止も促進していると思います。
本質を学ぶ事と論理的な事は異なるのか?
筆者はまだまだ本質に辿りつきませんが本質を学ぶというのが重要だと考えると論理的に考える事は間違いでは無いと思います。
特に最近の文化や再現性の意味からも論理的である事も重要だと考えます。
人体という高感度センサーが感じた事も重要です。そして再現するためにはそれを言語化も必要だと思いますので両方が大事ということでしょう。
指導を受ける時のちょっとした注意点
課題がある場合の指導には大きく2パターンあり症状に対しての根治療法か対処療法だと思います。前者は一から組み立て直して指導をするので背景が分かり易いのですが、後者は症状を直すポイントだけを指導する場合があるので、その最後だけ切り取られて「〇〇することはよいことだ」といった形で情報が流布される場合があります。
一般論として指導をする場合でも、人によっては骨格も違うし年齢などの条件の違いによっても一般論ですら間違いになってしまう場合があることを理解しておいた方が良いです。
「◯◯先生が言ってたから」というのも曲者なので気を付けて下さい。
指導をする場合のちょっとした注意点
先ほどの受ける際の注意点から分かるように今の弓道においては理由の説明とその対処が一括りになる必要があると思います。あわせてその理論の背景が順序だって説明できるようにしておかないと受けてが混乱してしまう場合があります。
「◯◯先生が言ってたから」というのもその後に自分での実験を行い、その結果がどうだったかという実施結果を踏まえて咀嚼をした上でと「自分は〇〇だった」という前提つきで説明するのが良いと思います。
まとめ
弓道という観点だけではなく自分の人生経験に当てはめながら言語化して取り組んでいきましょう。
理論だけではもちろん弓を引けないので引いて引いて引くのみですが、そこに理論が合致した時は更なる成長が望まれると思います。
日常生活や今までの経験に置き換えて考えてみて疑問があれば指導者にぶつけてみましょう。(道場の雰囲気にもよりますので聞ける人に聞くのがより良いと思います。)
なお、読んだ方もいらっしゃると思いますが、長編の筆者のインドでの弓道記を書きましたのでご興味あればご覧頂ければ幸いです。
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